忙しい時に限っていろいろと気にしないといけないことが増えて、悩むときが多くなってます。自分自身のことなら多少は開き直りもできるんだろうけど、自分以外のこととなるとやっぱり真面目に対処しないといけないのかな。
それにしても、今年はいろいろとしんどいことが立て続けに起こります。2月の卒論から始まり、3月の卒業式直後のお葬式、そして6月の父の入院+α。きっと、将来思い返してみて大変だった年に含まれると思います。確かにオケとか研究とか充実してるといえばそうなのですが、もうちょっと一気に来るんじゃなくて小出しで来てほしいな?なんて。
というのも、ついさっきまで電話で、自分がしたいことでも本当に体がついていかないときはどうすればいいかって話をしてて。なにかを諦めないといけないんじゃないかって。昔はできたのに、今はできないことって着実に増えていってるわけなんですが、それを諦め切れずに追いかけるか、現実を受け入れて新しいことに挑戦するか。この選択はかなり難しくて、世の中のいわゆる「成功した人たち」は前者を選んでることが多いように思います。でも、前者を選ぶってことはそれだけ傷つくことも多くなるわけで、それをいかにして受け止めるか。しかも、そのダメージを受け入れたところで、成功することは誰も約束してくれないし、結局は自分自身で頑張るしかない。多少苦しくても明るい未来を信じるか、それとも自分のペースを守った生活をするか。
あと、どちらの選択肢を選んだとしても、気づけば自分以外に守るものができて、身動きが取れなくなることとかも。たとえば、よく家庭を持つサラリーマンとか、歴史のある組織とか。いや、別にサラリーマンや伝統的な組織を批判しているわけではなくて、気がつけば束縛されていることはよくあることだと思います。束縛されていないうちは失うものがないから挑戦ができるけど、知らないうちに身動きが取れなくなって、最終的には守ろうとしたものを失ってしまうとか。多くの人は学校とかで知識を習得して、社会で働くようになって、ある程度の地位で頑張れるようになって、家庭をもてるようになって。でも、そのうち新しい考え方が理解できなくなって、周囲の状況が分からなくなって、そのうち体力も衰えていく。友人たちも失い、親や家族、そして自分自身の命でさえも失って。最後には何を得ることができるんだろうって。
ある困難な状態に陥ったとき、最後まで何かを守り通すのは本当に難しいと実感しています。大切な宝石であっても、握っている手の力を少し緩めただけで砂のように散ってしまう、そんなものが世の中には多すぎます。
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