ブログ「Seasidebreeze」の「義務教育について・・・」というエントリを読んでみて、もう少し議論の余地がありそうだと思われたので、自分の意見を記しておきます。もし、何かご意見などあれば、どしどしコメントをよろしくお願いします。
さて、前述の「義務教育について・・・」というエントリの内容は、まとめると次の通りです。
テレビの番組で義務教育を廃止すればいいんじゃないか?という討論がされていたが、それには全く賛成できない。なぜならば、義務教育を廃止すれば、経済的弱者は税金で支払われていた教育費を全て負担しなければならなくなり、非常に負担が大きくなる。また、地域によっても教育の水準は異なり、競争の少ない地域では、安定した教育を受けられなく危険性がある。確かに、経済的に余裕があれば専属の教師を雇うことができ、質の高い英才教育を受けられるようになるだろう。しかし、それが実現できるのは日本の1割弱であり、大多数の人々はそのような恩恵に与ることができない。このような、多くの人を不幸にするような国策は愚かであるといえる。
僕自身も義務教育自身を廃止することには反対です。きっと社会に不平等感が漂い、安定した生活を送ることができない人々が多くなることは容易に想像できます。ですが、この議論のもとは、「現状では、才能ある子供がそれ相応の教育を受けることができない」から「義務教育をなくして英才教育が受けられるような環境にすればいいじゃないか」ということではなかったのでしょうか。義務教育をなくすことがまずいのであれば、それに勝るような国策はないのでしょうか。
ここで、義務教育の目的は何であるかを確認しておきます。文部科学省のウェブサイトの中に、2005年初等中等教育分科会の審議のまとめとして、次のように書かれています。
義務教育は,国民が共通に身に付けるべき公教育の基礎的部分を,だれもが等しく享受し得るように制度的に保障するものである。
つまり、義務教育は最低限の教育を制度として保障するとしています。ですが、現状では最低限の教育を保障しようとするあまり、教育の上限も見え隠れしている点が問題となっています。ここを取り払う、もしくは緩和するような国策が今は求められていると考えることができるでしょう。
これを解決する上で、大きく2つの方法を考えることができます。1つ目は、国の制度として教育の上限をなくすようにする、というものです。つまり、義務教育として最低限を保障しつつ、可能性があれば質の高い教育により才能をのばすというものです。国策としては、これが一番理想的に感じられます。しかし、それを統一的に実現するには困難が多く、また失敗も許されないことから、ハードルは高いと思われます。どのように教育することがよいのかについても多くの議論があり、すぐには解決できない問題でしょう。
2つ目は、国の制度外で教育の上限を引き上げる方法です。塾や家庭教師に代表されるような教育を積極的に利用するというものです。単純にこれ一辺倒になってしまうと、結局は義務教育廃止説と同様になってしまうので、経済的格差に影響されないようなシステムを考えるなどしないといけないのでしょう。有償であるけれども、安価で利用できる教育機関。・・・、でもそれって学校と同じ?
具体的な方法を提案することはなかなか難しいですが、1クラスを少人数化することには賛成です。英才教育が、教えているその子のみに着目した教育であると考えるならば、今のクラスを少なくすることでそれに近づけることも可能ではないかと思われるからです。提案方法を的確に評価することは難しいですが、確実に質の向上が望めるような教育の議論がもっと行われてほしいものです。
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