まず初めに。遅刻してすいませんでした(><)慢性疲労のため普通に寝坊しました。ホントにごめんなさい。
でもって、ヒンシュクを買いつつポーアイのホールへ。僕自身はアシなので、演奏する場所はめちゃめちゃ少なくボーっとしてました。しばらくすると卒業生も入ってきて、学歌を演奏して学校長の式辞に。
正直、このときの学校長の式辞はめちゃめちゃ切れかけました。前半の話の調子でずっと続けられてたら、マジで途中で退場しようかとも。いや、いましたけどね。いきなりインターネットの欠点の例として、「患者が薬の効能を勉強してきて、医者がやりにくくて困る」なんて話をされたら、学校長の品格を疑います。お医者さんだって、患者さんに対してはインフォームド・コンセントとか言って、治療の内容を理解してもらおうって方向になってきてるのに、すごく閉鎖的。
他にも、いわゆる「古い」先生方にとってはインターネットの出現でやりにくくなってきている、といった例も出てきて、かなり失望しました。神大の限界ここにあり、といった感じです。見たり聞いたり以外にも有益な情報の取得方法があるのに、それを早々と見限るのは怠慢と一緒です。勉学を惜しまない「大学」という性格からしても、そんな発言は似合わないと思います。
そんな冒頭で始まったので、結局式辞の趣旨として「卒業生と大学の新しい付き合い方の提案」は、もっと直接的な対話を大切にすべきだとかになるのかと思ったら、結局、「各々で見つけていってください」といった漠然なもの。最終的にそうなるなら、「提案したいと思います」とか言わなくてもいいんじゃないかと。「つながり」に関連した例を挙げていたのは分かるのですが、結局何も意味を成さない気がしてなりませんでした。残ったのは新しいものを羅列しただけといった印象でした。
それに対して、院生の式辞は震災10周年・終戦60周年に触れて、神戸の街が復興していかに変わったかを述べていました。端的で分かりやすく、採り上げた例も的確でした。むしろ、こういった話のほうが好感をもてます。
在学生が普通は聞けない席でのこういった式辞が、現在や未来を表しているようにも思えました。そういった意味で、この卒業式は考えさせられるものがありました。
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